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自治の単位

8日に書いた「夢みる人の夢の田舎暮らしと現実」に、次のように書いた。

記事のコメント欄には自治体の名前を出すべきという人もいるが、市町村より細かいレベルで出そうとしたら何千、何万の名前が出てくる。
これに対して、なぜ市町村より細かいレベルが出るのかと疑問が提示されたので、これに関して説明したい。

自治体とは何かという定義をとりあえず保留して、日本の場合、まず地方公共団体(地方自治体)という区分がある。これは地方自治法で定められた区分で、憲法によりその存在が保証されている。Wikipedia によれば、数は次のようになっている。

日本の市町村の数は、2016年(平成28年)10月10日の時点で、市が791、特別区が23、町が744、村が183で合計1,741
つまり、市町村と東京23区、あわせて約 1700 あることになる。

では、前回紹介した「恐怖の実話!悪夢と化した「夢の田舎暮らし」」に出てきた「ゴミを出す場所」は誰が決めているのかというと、地方公共団体に所属している役所が決めるのではなくて、役所曰く、

移住の方が何世帯か集まって新たにゴミ集積所を作ってもらえれば、そこに回収には行きます。
ということなので、その「何世帯か集まって」が場所を決めるのだろう。では、この「何世帯か集まって」というのはどのような団体か。

そもそも、例えば「市」というのは単独の地方自治体だが、その中に複数の町が含まれていることがある。この場合、住所表記としては、○○市△△町、のようになっている。さらに、1つの町でもいくつかの区域に分かれる場合もある。

先の記事で出てきたような、ゴミをどこに集めるとか、住民が集まって会議(宴会?)するというような話は、市町村ではなく、それをさらに分割したご近所さんだけの集団が相談して決めているのだ。このような狭い範囲の集団は自治会、町会、町内会のように呼ばれている。ただ、これらを総称して一般的に何と呼ぶのかは分からなかった。つまり、市町村を「地方公共団体」と呼ぶのであれば、自治会や町会を何と呼ぶのか、というのが分からない。今回はとりあえず、「自治の集団」と呼ぶことにする。

「自治の集団」は日本にどの程度あるかというと、例えば鹿児島市の場合、地方自治体としては鹿児島市1つとして存在するが、平成29年の調査では鹿児島市の町内会は781団体(うち2団体が休止中)あるとされている。(町内会実態調査・市民意識調査|鹿児島市)

このそれぞれが、ゴミを集める場所のような近所の都合で決めるべきことを決めているはずだ。ちなみに、ゴミ集めの場所のように最も狭い範囲で決めるべき物事は、「自治の集団」をさらに分割した「班」のようなグループで決めて扱うこともある。

全国に町内会レベルの「自治の集団」がいくつあるか精査していないのだが、仮に地方自治体ごとに100あるとすれば地方自治体が約1700あるから、17万という数が推定される。

考え方を変えて、日本の人口が約 1.27億人として、100世帯≒400人に1つの割合で「自治の集団」があると想定すれば、そこから推定する数は約32万となる。大雑把だが、10万のオーダーあるのでは、というのが当たっているのではないだろうか。なお、これらの数字は単なる勘なのでさしたる根拠はない。

引っ越して生活を始める場合、住民票を市に移した時点で自動的に市民になるが、それはその行政区分に所属したという意味しか持たず、「自治の集団」に所属したわけではない。また、多くの場合、どこかの地方自治体に所属する(住民票を置く)ことは原則として強制的だが、「自治の集団」に参加することは強制ではない。

強制でないなら、そこに属するかどうかは本人次第だし、東洋経済ONLINEの記事に出てきたように、『組長がうちの組にはよそから来たもんは入れんっちゅうとる』ということで、「自治の集団」側から受け入れ拒否される場合もある。

「自治の集団」(あるいはその集合体である集落)の阻害性は、その集団次第である。誰にでもフレンドリーであれば案外うまく仲間になれるかもしれないが、記事に出てきたようなヨソモノは入れないというルールが根強い地域だと、よほどのことがないと、仲間に入ることはできないだろう。

東洋経済ONLINEの記事には

この時代に『あそこの組長は頑固だから……』で行政指導ひとつできない
と書いてあるが、個人的にはこれはかなり一方的な話でそこで止めるのは不公平だと思うから、逆からの見方も書いておきたい。蛇足しておくと、逆の見方を書くには書くが、そちらを支持したいというわけではない。

田舎には田舎なりの文化や風習、伝統というものがある。何百年も続いてきた歴史のある場所ならなおさらである。そこに全くそれを受け入れない人間が入ってくるとどうなるか。

もう10年以上前だと思うが、とある村に宗教団体が大勢引越してきて問題になったことがあった。この団体は村のルールは守らないで好き勝手にやる。違法ではないから法律で取り締まることはできない。自治会にも参加しないので何も強制できない。

私の知っているとある田舎には、都会からそこに引っ越してきて、しかし一切付き合いをしない、という人が一定数いる。この地域ではゴミ出しの場所は私有地ではないらしくゴミは出せたと思う。しかし、その他いろいろのルールはある。集会に出なかった人は1000円払う(これは会の運営費に充てられる)とか、当番制で掃除をするとか、そのようなルールだ。その人達は、集会に出ないし1000円も払わない。掃除もしない。たまに雪が積もったら、自分の家の前の雪かきをしないから車が通れなくなる。

では行政はそのような人に対して、集会に出ろとか、掃除をしろとか、雪かきをしろと指導してくれるかというと、そんなことは一切しないし、する権利もない。個人に公共の場所を掃除する義務はないから強制できない、と言われて終わりだろう。

田舎の場合、歴史的にもっと酷いことが起こっていることもある。他所からきた人達に強盗された、放火された、というような事件も実際にあるのだ。

ウチソトの考え方からいえば、ウチの人達は集落に生活する人間は身内扱いで、運命共同体として認識している。そもそも、家庭が崩壊していない限り、自分の家族から強盗したり自分の家に放火する人はいないだろう。ウチという共同体はこれと同じで、基本的にその中で強盗や放火のような事件は起こらないものなのだ。しかし、ソトから来た人は違う。金目のものを盗んで他に逃げてしまう。住民は他人で自分がトクをすればいい。そういう発想ができる。

要するに信用できないのだ。ソトから来た人は。特に何百年も続くような田舎には、それだけの歴史がある。

ちなみに、集落のウチに入れた場合、どうなるのか。

東洋経済の記事には

洗濯物の内容まで、生活のすべてを見られている
という見出しがあったが、そりゃ家の外に干したら見てしまう人もいるだろうが、それだけではない。例えば屋根がちょっと壊れていたとする。すると、近所の人が来て、屋根が壊れているよと教えてくれる。大工を呼んで修理までしてくれる。そこまでなら都会でもあるかもしれないが、御代はと訊いたら「いらね」という。都会でそこまでサービスしてもらえることはないだろう。

屋根を勝手に直してくれるのは、ウチは身内という意識があるからだ。自分の家が壊れたら自分で直す、そのような感覚なのだと思う。

いい野菜が取れたからといって持ってきてくれる。ウチだからお金は絶対に受け取らない。もちろんこのような関係は相互的、give and take であって、自分からも何か分けられるものとかあれば、おすそわけするのだ。

ところで、私の現住所は東京の23区内だ。東京的な近所付き合いというのは微妙な話がありそうだが、案外「ご近所さん」という関係は存在している。洗濯物はどうか知らないが、近所がどうしてるというのはお互いそれなりに意識している。例えばお年寄りの独り暮らしの家が数日洗濯してないと、物凄く心配したりする。

都会が田舎と違うのは、泥棒の被害が発生しやすいところか。ソトの人が大勢いるからである。私が記憶している限りは、自宅に泥棒が入ったのは2回。大阪と東京だから都会の犯罪である。どちらも犯人は捕まっていない。だから暮らしにくいかというと、そうともいえないが。

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コメント

ゴタクは結構。当初の投稿には「記事のコメント欄には自治体の名前を出すべきという人もいるが」と書いてあり、念のため元記事のコメント欄も見たが確かに自治体名レベルしか要求してないのに「市町村より細かいレベルで出そうとしたら何千、何万の名前が出てくるのではないか」と書くから突っ込まれる。
鹿児島市のどこかにそのような「自治の集団」があったとして、その個別の集団名を列挙しろとは要求されていない。「鹿児島市」レベルで明示されていれば「あそこにはそういう場所があるのか。なら移住はやめておこう」となるだけの話だ。

投稿: のぐー | 2018.07.12 18:44

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