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書評: アポクリファ

アポクリファ

乗越たかお 著
河出書房新社
ISBN4-309-00723-6


残念。絶版らしい。一応bk1へのリンクを張っておきますが「お取り扱いできません」と表示される。なお、読みたいという方はpdfのファイルを乗越たかおプロフィール&著作集からダウンロードすることができる。

発行された1991年当時は、パソコン通信が急成長していた時代で、チャットするには今と違ってかなりの出費も覚悟しなければならなかったような気がする訳だが、逆に、それだけ出しても構わないというドップリ溺れたタイプの人が集まっていたので、今とは違う活気があった。

この小説(か?)は、プロローグの部分を除いて、全編がチャットのログの形で書かれている。当時としてはかなり斬新な試みだったと思うし、今でもそうだろう。内容も、実際にチャットにドップリ系の人なら非常によく分かると思うのだが、おそらく、作者はかなりチャットにハマっていたのではないか。というのは「本物のチャットだとこうだろ」みたく突っ込みたい箇所が殆どないのだ。

つまり、現実のチャットに忠実なのだ。あえて言うなら、実際の会話はもっと錯綜するというか、かみ合わないことが多いような気がするのと、あと、これは仕方ないのかもしれないが、チャットに参加しているみなさんの文章がうますぎる。実際はリアルタイムでボケも突っ込みもこなす必要があるから、文章が多少滅茶苦茶でも応答速度を優先する訳だ。

(籠の鳥)「個人がメディアを通して社会とコミュニケートする方向にシフトしていってる」ということです。
(p.61)

こういう世界はインターネットの普及で社会の一部として当たり前になってしまった。当時はWWWが今のような使われ方をすると想像する人はあまりいなかったのだ。インターネットというモノ自体はかなり古くからあるのだが、当時においてその本質を知っている人は、最先端のIT関連の仕事をしている人とか、あるいは、大学のような研究機関に限られていたのである。

今は昔、ニフティに中村明さんという方がおりまして。ニフティサーブというパソコン通信サービスに入会すると、まず歓迎メールが送られてくる。それを送っている人が中村さんだった。なぜ「ニフティ」ではなく「中村明」でメールを送るのか、いや、そもそもなぜ中村さんがメールを送るのか。中村さんがニフティを去るときに、送別会があった。このときに、そのことを聞いたのだが、なるほどなぁと思ったけど、うろ覚えなので、今回はそのことは紹介しない。

これが、ちょうど People という新しいパソコン通信サービスが始まる頃だった。皆さんそれが気になるらしく、参加者の関心もそちらに向かっていたのである。ちなみに、People というサービスは、既に終了していて、今では存在しない。しかし、この時に People なんてどうでもいい、怖いのはインターネットだ、と主張した人が二人いた。

一人は古瀬幸弘さんという方で、書斎フォーラムとかいうフォーラムを担当していた。IT系に詳しい方だったが、確か、フォーラム参加に基本的に実名で、というような感じの運営をしていたような記憶がある。

もう一人は私だった。プログラマーズフォーラムは、フォーラム参加は仮名が原則というポリシーで最初から(多分)最後までやっている訳だから、不思議なものだが。それはおいといて、このときに「フォーラムが個人で開けるようになるんですよ」のようなことを言ったのを覚えている。

ただ、周囲の反応は、ぽか~んとしたもので、要するにリアクションも何もなかった。当時、インターネットというのはそういう世界だったのだ。古瀬氏はさておき、私に先見の明があったと言うのではない。単に、インターネットとは何かを知ることのできる環境にいただけに過ぎない。そういう世界を見ていたら、こりゃ大変だということは誰にでも分かったはずなのだが、ともかく、WWWの浸透速度はあまりにも速かった。

さて、この本は、そういったパソコン通信の古き良き時代に書かれたものだ。実に面白い試みだったのだろうと思う。ただ、書評と銘打ったからには、辛辣すぎるかもしれないが、評を書かせていただくが、私としては、この本は、ただそれだけのものとしか思えなかった。というか、最後まで読んでも、結局、何が言いたいのかよく分からないのである。

ストーリーが難しいとかそういう話ではない。実は、私は、この本の半分程度まで読んだところで、オチが分かってしまったのである。正確にいえば81ページのあたりだ。まさかそれはないだろうな、と思ったらまさにその通りだったので、かえってびっくりした。

もしかすると、作者は「その程度は当てろよ」というつもりでこの物語を書いたのかもしれない。あるいは、世の中はこんな程度のものだ、世の中にそんなに言いたいことなんて元からないのだ、というのが本当に言いたいことなのかもしれない。プログラマーズフォーラムに仮名で参加しろと強く推奨している理由は、オンラインコミュニケーションの仮想性に憑かれているからである。そのようなベースをもって読めば、何も目新しさを感じないのは仕方ないのだろうか。この本で、デッドアイ氏が人工現実のことを「虚構がテクノロジーのパワーを取り入れた結果」と表現しているのだが、今となっては既に虚構は現実になっているような気がするわけだ。

もしこの本が実は私の想像を超えたびっくり本だとしたら、いや実はこれ、実話なんです、とかいう可能性は残っている訳だが…。いや、まさかね。

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