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書評: 新釈走れメロス 他四篇

以前、太宰治の小説、走れメロスの暴評を書いたことがあった。あんなくだらん話はないぞ。しょうもない。これだけ書いておけば太宰も本望、書いたのはそんな趣旨だった気がする。違うかもです。

走れメロスをそんなバカな解釈する奴はいないと思っていたら、はるかに常識を凌駕する解釈をする凄い人がいた。その人の実際の作品がこの本である。

「新釈走れメロス 他四篇」(他四篇というところポイント)という書名に釣られた人がいたとしたら、あなたはお魚だ。その実体は釈でも何でもなくて、メロスに出てくる表現を多少借りた小話に過ぎない。実はこの文庫本の作品の中では「桜の花の満開の下」が圧倒的に好きで、これは実は森見さんの実体験をアリのままもしくはキリギリスのパパになったつもりで書こうとして失敗した私小説ではないかと妄想もしてみたのだが、想像するだけで疲れてしまうので、まず次に気に入った、というか頭に来た山月記について評したい。

もちろん山月記といっても原作とは殆ど関係なく、ありていに言えばふつーのパロディなのだが、なぜこの山月記が気に入ったかというと、私は「もんどり」を漢字で書けるからである。

「深夜になって、彼は急に下宿のドアを蹴破ると、「もんどり! もんどり!」とわけの分からぬことを叫びながら闇の中へ駆け出した。」
(森見登美彦著、新釈走れメロス他四篇、角川文庫、p.10)

いきなり横道に逸れておくとこの表現は同書収録作、「走れメロス」の

「芽野は「大学自治! 大学自治!」とわけの分からぬことを叫びながら百万遍交差点を駆け抜け…」
(p.133)

これと酷似した表現で、森見氏のお気に入りの表現なのか、意図的にフラッシュバックやバックドラフトさせることで奇天烈な心理的効果を狙ったのかもしれず、真相は藪の中だが、とにかく山月記に関しては、もんどり記といってもいい位のもんどりオンパレードであるという事実に注目しなければならないのである。そこに太宰氏の元作品に見られる荘厳でキリスト教テイストの教条主義的な雰囲気は微塵も無く、ただ只管「もんどり」の話を刷り込むことに終始しているのがオモチロイ。

特に、モン鳥説が凄い。

んなの私は聞いたこともない。森見氏の小説は京都の実在する風景描写も秀逸ながら、妄想系に走ったらベクトルが常人と違い過ぎて誰も付いていけず、付いていけるのは俺だけ的な錯覚を感じることも多々あるのだが、それにしてもモン鳥はないだろ。

もんどりというのは由来を辿ると鳥獣戯画の時代に遡って、蛙と兎が相撲を取っているマンガは教科書にも紹介されるほど有名だが、その中に投げ飛ばされてさかさまになっている蛙がいるのを覚えているだろうか。この蛙をもんどり蛙という。その時代の「もんどり」の細かい意味はよく覚えていないが、今でも使われる「もんどりうつ」という表現は、このマンガから来ているのだ。

ウソだけど。

私の妄想は置いといて、もんどりという言葉は好きだ。漢字で書けるという話は最初に書いた通りだが、漢字で書いても読める人は少ないだろう。この小説には「もんどり」を漢字で書いた箇所はない。ルビを振ったらモン鳥という創作が意味不明になってゲシュタルト崩壊するので、漢字で書けなかったのだろう。何事にも合理的理由はあるものなのだ。

「もんどり」を漢字にすると3文字になる。

その3文字の最初の2文字は、この小説の中に出てくる。ということは、2文字まで気付いたところで、ははぁ、森見さん、この小説の中にもんどりを漢字にしたときの3文字をバラバラにして隠すことでサブリミナル効果を狙ったのか、そう仮説を立ててみた。ならばあと1文字だ、それはどこに出てくるのか。何度も精読したが見つからない。探し方が悪いのか。京都人なら先斗町というお手軽な地名もあるのに、それすら出てこない。くっ、騙された。そうやって精読させるのが狙いか。芸が細かいじゃないか。

というのが先ほど「頭に来た」と書いた理由だ。早い話が単なる八つ当たりというか私の妄想起源の逆ギレなんですな、すみません。

それはそうとして、最後まで読むと何気に悲しいお話だ。そこは山月記さながらである。あの小説は国語の授業で体験した人も多いんじゃないかと思う。私もそうだが。そういう人は悲しいどころじゃなくて、読解に血眼になって考えてうんうん唸っていたに違いない。もっと落ち着いてリラックスして読めばいいのに。アレは難解な小説ではなくて、とても単純で、そこはかとなきかなしさをしる、みたいな名作なんだ。原作は。蛇足しておくと血眼を「けつがん」と読んでしまった人がもしいたら「ちまなこ」と読んでくれることを切に望む。

(^^;)

さてもう一編紹介しよう。題名にも使われているのだから代表作に違いない、走れワロス。じゃなかった、メロス。主人公はメロス役が芽野史郎(めのしろう)、セリヌンティウス役が芹名雄一(せりなゆういち)という。何でシロウなのか知らんが作品中に北斗の拳が出てくるからケンシロウから取ったとか、そんなとこだろ。そして原作の二人も相当バカだかこの二人も猛烈にバカだ。芹名氏のセリフ、

「しかし、あんたの期待するようなつまらない友情を演じるのは願い下げだ」
(p.138)

これだけなら極めてカッコイイのだが、

「そのためにブリーフ一枚で踊ることになっても?」
「そうとも」
(同上)

バカだ。

ていうか芹名は最初から踊りたいに違いないのだ。勝手に踊るとバカ丸出しだから理由が欲しいのだ。王様役の図書館警察の長官は最後は一緒になって桃色ブリーフスというユニットを結成して踊ることになるのだが、はて、原作の王様の名前何だっけ(実はないのです)、まあいいや、バカは伝染する。どうせならモモクロみたくモモブリという略語も作って欲しかった。だって刺身にしたら美味そうではないか。ミカン食わせて育てる養殖ブリみたいで。関係ないけど。

個人的には「夜は短し歩けよ乙女」とか「きつねのはなし」もオススメなんだけど、あえてまず、こちらを書評させていただいた。いつにもまして珍評になってしまったような気がするのだが、結局どこかハメられた感がしないでもない。

新釈 走れメロス 他四篇
森見登美彦著
角川文庫
ISBN 978-4-04-103369-2


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コメント

後で読み直してみると山月記のところでキリスト教云々とか書いてあるがキリスト教が出てくるのは太宰で中島敦だからずれてるじゃないかと細かいところに気付いたかもしれないがそんなことはどうでもいいのだ。私はもっとなんだか大きなもののために書

投稿: phinloda | 2016.03.05 14:42

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