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禅問答は無茶苦茶なこと言われるそうだが空を飛べといわれたらどうしようか

空を飛べってそんなに無茶かどうか、私は禅僧でもないし全然分からんな。

Discover Japan の 2014年2月号の特集が「禅」。「ジョブズもイチローも世界の成功者は、なぜ禅に夢中になれるのか?」というサブタイトルがついている。もちろん、禅に夢中になったら世界の成功者になれる…わけではない。禅に夢中だがちっとも成功しない人の方が圧倒的に多いかもしれないぞ。

1990年頃、だと思うけど、プログラマーは禅が好きだという伝説があった。 禅が好きといっても、魔法やSFが好きなプログラマーも多い訳であって、禅がそういう世界と同列に見られているのだとしたらちょっと違うような気もするが、 もし禅とプログラミングに何か共通点があるとしたら、禅的な心を持ちなさいとかいうのではなく、やはり考え方ではないかと思う。 プログラムを作るときの思考パターンと禅問答を解釈するときの思考パターンに類似点があるのではないか。

禅問答とか公案には無茶な問題がたくさんあって、ソフトウェア開発を請け負ったときにまるで禅ではないかと思ったことがある人も多いかもしれない。

無茶な禅問答としては、初級問題として有名なものに、例えば「隻手の声」がある。両手をパンと打てば音が出る。これは両手の音だ。では片手の音はどんな音なのか。隻手の声というのは、片手の音を聞けということである。

本当に禅僧にこれを言われたら即座に片手で相手の顔をぶん殴ってやろうと思っていたのだが、後で同じことを考えた人がいることを知って、どうも発想が平凡すぎたかと考え直したことがある。

もちろん片手の音というのは、片手を使って音を出せという話ではないし、もちろん相手をぶん殴るのは音を出すのが目的ではない。本当の答はどこにあるのか。

スピッツの「空も飛べるはず」という歌。空を飛べといわれたらどうするか。ビルから飛び降りても空を飛んだことにはならない。歌の中では自由に空もとべるはずだというが、なぜ飛べるのかちょっと曖昧なのが面白い。そもそも「飛べる」じゃなくて「飛べるはず」(つまり、まだ飛んでいない)というところも面白い。

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コメント

超ご無沙汰しています。
FPROGにちょっと出没していたぢゃむです。
確か、横浜でわんこそば大会をやった時にお会いしたかと。
ふと思い出して、ググってここに辿り着きました。

いやー、相変わらずですねぇ。(笑)

投稿: ぢゃむ | 2014.02.05 21:04

これはお懐かしいです。わんこそば大会、ありましたね。確かもう少しで100杯というところで挫折したような記憶があります。

相変わらずというか、あれから茶色い戦争ありまして、まあいろいろあったので自伝が書けるんじゃないかと思っていますが、未だにデバッグが終わらない生活というところは変わってないです。日々是デバッグです。やはりプログラミングは禅なのです。

投稿: phinloda | 2014.02.07 19:30

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