エンゼルバンクの「AK45」とゆとり教育の関係(2)
アルファベットの裏は必ず数字なのかという話になっているので、ちょっと考えてみた。Kの裏に数字が書かれていない場合に「数字は偶数である」が成り立つのかという話である。数字がないのだから偽と考えるか、数字がないのだから「数字は偶数」という条件は満たしていると考えるべきか。
全ての要素が偶数の集合があるとする。この集合の任意の部分集合に含まれる要素は偶数か。要素があれば簡単だが、φ(空集合)はどうかという問題になる。「含まれる要素」を問う場合に、含まれている要素全てに対して条件が満たされていればいい。一つも要素がない場合「含まれている要素」がない。
反証的な方向で解釈すれば、この条件に何も反していないのだから条件は満たされている、という解釈ができる。検証的に考えると、条件を満たした要素が何もないのだから条件を満たしているとはいえないという解釈もできる。
数学的には「2月30日は金曜日である」という命題は真か偽か。日常生活的にはナンセンスである。ナンセンスというのは真偽を考えること自体がおかしいというメタな解釈なのだろうか。
ところで、AK45の問題なのだが、実は自分的に一番気になったのは、このカードに裏があることは保証されているのか、ということだ。または、裏が2つ以上あることはないのか、という話。あるいは、量子力学的には、見るまで書かれている内容が決定できないようなことはないのか。
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コメント
この問題を見たとき、私はてっきりAだけでよい思ってしまいました。難しい問題です。
この問題は、母音の裏に書かれている数字は偶数であるのみのルールです。逆に言えば、それ以外はルール化されていないので、母音の裏の数字は偶数のみ証明できれば良いと考えました。
通常、命題が真である場合、待遇も真になるのは命題が定理の場合だけではないかと思います。なので、待遇問題が出るのは数学等だけです。
今回のケースは定理ではなくただのルールだけです。よって、「裏面の数字が偶数でなければ、カードのもう片側にはローマ字の母音が書いてない」というルールがなければ、裏面の数字が偶数でなければ、カードの片側には何が書かれているか分からない(不定)が正しいように感じました。
つまりルールですので、「裏面の数字が偶数でなければ、カードのもう片側は母音である」というのもルールとして追加できるのかなと思います。つまり、命題がルールの場合の待遇はルールではないと言えます。
逆に定理の場合は、命題と矛盾してくるので上記のようなルールを追加できないのかなと思います。
定理での例としては、「重力がある場合、空中の林檎は自然落下する」等です。この場合の待遇はたぶん、「空中の林檎が自然落下しない場合は、重力がない」かなと思います。これに反し、「空中の林檎が自然落下しない場合は、重力がある」は、物理学的におかしいです。
そう考えてしまい、Aだけ見れば満たせると感じてしまいました。なんだか屁理屈っぽいですが。。。
投稿: のぽん | 2009.06.24 21:56
何度もすみません。
よくよく考えてみると、自分の書いた内容だと対偶とは違うルールを作ると、命題を満たせなくなるので、やっぱり違うんだなと思いました。
うーん、思考不足です(栄養不足みたいな感じ)。。。
投稿: のぽん | 2009.06.25 07:58