それがぼくには楽しかったから
ということで真昼間からロイホで原稿書くわけだが、原稿よりも投稿や発言を、という感じもすると。
注文したのが Paradise Tropical tea という訳の分からないものだが、だいたい想像した通りの味だった。パラダイスというかパッションフルーツ系の何か入ってますか。いずれにしても、しばらくアウトドアでカキまくるというのをイメージしているわけで、いや、アウトドアというかカフェとかお茶やさんとか、そういうのですが、とりあえず、無線LANの使える店をチェックしないとアレかな、という感じで。
ついでに図書館に寄ってきた。会社勤めだと図書館の開いている時間は大抵行けない罠。借りてきた本は、「それがぼくには楽しかったから 全世界を巻き込んだリナックス革命の真実(Sho‐pro books)」という、Linuxの作者自伝本である。
まだちょろっとしか読んでないのだけど。こんなの出てくる。
必死に勉強しなくても成績はよかった―トップクラスというわけよ゛もなかったが、それはちゃんと勉強しなかったせいだ。(同書 p.027 第1部 オタクの誕生)
うーむ、堀江氏の本にもそういうこと書いてあったけど、またかというか、やはりソレなりの人は根本的に出来が違うんだというのを思い知らされる訳ですね、みたいな。まあそれはおいといて、人生の行き着く所が fun というのはいいですよね、楽しまないと、というのは。成功・失敗は二の次で、とにかく楽しいこと。師匠にも言われたんだけど、そういうのも生き方だと。
成功が付いてくるからだろ、という声もあるかもしれないけど、そうじゃないような気がするわけですよ。
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コメント
「楽しめること」がいちばん大事、と言えるかどうかは当人の価値観に依るワケで、成功すること一番になること他人に勝つことにこそ価値を見いだす、という価値観の人には理解できない考え方だと思います。
というよなことを『人生の取扱説明書』をチラリと読んで思いました。
(^^;)
投稿: 楊柳(やなぎ) | 2004.04.01 17:21
一番になるとかキリ番になるというのを目標にするというのは価値観としては分かりやすいですが成功確率が低い罠。というところで挫折しながら人間は大人になっていくみたいな。
で、話を少しマジに戻すと、「楽しむ」とか快楽主義的な話は、たまに墓場に書いたりしていますが、もっと本能的なレベルの話が混じっているような気がするわけです。例えば、一番になるとか勝つことを目標にするのはなぜかというと、一番になると楽しいとか、勝つと楽しい、というようなレベルのメタな話が出てくると。
投稿: フィンローダ | 2004.04.01 18:01